《ルートの説明》
近頃は利根川下流を走ることが多く、今回も利根川です。利根川民となりつつあります。ところで、利根川下流を語る
うえで、忘れてならない過去の事件があります。江戸時代に起きた博徒・笹川繁蔵一家と飯岡助五郎一家の抗争です。
本来ならばローカルな事件であり、歴史の中に埋もれてしまうはずでしたが、講談や浪曲で、天保水滸伝として喧伝さ
れたため、全国区の事件となってしまいました。近世においても、歌や映画の格好の題材となりました。
1959年に三波春夫が歌った「大利根無情」という曲があります。笹川一家の用心棒、平手造酒が主人公で、せりふ入
りのドラマ仕立ての歌謡曲です。小学生の私の愛唱歌でもありました。なので、未だに歌詞もせりふも覚えています。
「利根ェ〜の 利根の川風 よしきりの 声が冷たく 身を責める〜ゥ」 以下省略。
今回、現地を見てこようと、その笹川一家の本拠地を訪ねました。


単調で何もない利根川CRですが、右側が、唯一休憩できそうな「道の駅・発酵の里こうざき」です。

発酵の里こうざきを過ぎると、河川敷に地霧が出ていました。

道の駅・水の郷さわらに着きました。駐車した車からロードバイクを降ろしている人がいました。ここ
からスタートで、銚子とか東国三社詣なんか、いいかもしれません。

津宮浜の鳥居を通過します

小見川大橋の下を通過し、5キロ程来ると、並走していた国道356のバイパスが終了します。そこで
右折し、利根川を離れ、ここは黒部川を渡る笹川新橋です。

笹川新橋で黒部川を越え、すぐに桁沼川の側道に出ます。

桁沼川の二番目の橋で川を離れ、ここは延命寺の墓地です。三名の墓があります。中央の幅広の
墓石が笹川繫蔵。墓と言うよりは記念碑ですね。右側の細く背の高い墓石が平手造酒。左の小振り
の墓石が勢力富五郎(繁蔵の一の子分)。

繫蔵の墓前にある「笹岡繫蔵の勝負石」。人生勝負に負けた人の墓前にサイコロですか・・。

平手造酒と勢力富五郎の墓石です。天保15年(1844)に大利根河原の決闘と呼ばれる抗争があり、平
手造酒はその際に亡くなっています。笹川一家の死者は彼一人、飯岡一家は死者8名を数えました。
死者数からは笹川の圧勝ですが、でも、ダメなんです。なぜかと言うと、飯岡助五郎は博徒でありなが
ら十手持ちでもありました。よって繁蔵はお上の執行に逆らった事になり逃走。3年後に故郷に戻った
ところを飯岡の刺客に襲われて死亡しました。勢力富五郎は親分の仇を討つべく奔走しますが、最後
は役人に山の中に追い詰められて自殺します。意地と度胸の任侠の世界で、最後は悲惨な死が待っ
ていました。
「止めて下さるな妙心殿 落ちぶれ果てても平手は武士じゃ 男の散り際は知っており申す
行かねばならぬ そこをどいて下され 行かねばならぬのだ〜」 (大利根無情より)

延命寺から程近いところに天保水滸伝遺品館があります。開館時間が遅いので、今回は入場して
いません。笹川繫蔵愛用の道中合羽とかキセルなどが見られるようです。

やや分かりにくい住宅地の中に笹川繫蔵が暗殺された場所があり、碑(ちょっと傾いている)が
あります。碑の文面は「笹川繫蔵最期之跡」。

笹川駅に寄ってみました。

さて、帰りはモードを”のんびり”に切り替えて、土手を走っていると、左手に、2019年に訪れた三之分目
大塚山古墳(190827)が見えました。千葉県内で2番目に大きい前方後円墳です。とは言っても、行った
事があるから識別できたのであって・・・。

常総大橋から若草大橋に向かう土手で、私は今年初めて彼岸花を見ました。秋ですね。
大利根の 土手の川風 身に受けて 芒噛みしめ ヨシキリを聞く