《ルートの説明》

三之分目(さんのわけめ)大塚山古墳は、利根川下流域、水郷と小見川の間にあります。三之分目とは変った地名

ですが、江戸時代の新田開墾に伴って出来た地名だそうです。

通常、古墳というと、眺めの良い台地の上に築かれることが多いですが、この古墳は珍しく、平地(国道356の道端)

に立地しています。長さ123mで、千葉県では富津市の内裏塚古墳(長さ144m)に次ぐ、2番目に大きい古墳です。

せっかく遠くまで来たので、帰りは佐原の小野川沿いを通ってきました。

利根川右岸のサイクリングロードをやって来て、水の郷さわらに着きました。

 

東関道の下を過ぎて2.5Km程で、白い建物が見えてきます。一之分目排水機場です。ここで土手を降りて

国道方向に向かいます。

 

これは排水機場脇の道。まっすぐ行くと国道356に出てしまいますが、その手前で左折し、0.55Km程

国道と並走してから国道に向かいます。

 

国道に出ると、探すまでもなく、目の前が大塚山古墳です。前方後円墳で、この写真で右が後円部で

左が前方部です。

 

千葉県で二番目というだけあって、大きいです。当時は香取の海の際にあったんでしょう。海上から良く

見えるように作ったのかも知れませんね。

 

国道から古墳を回り込んで南側に来ると、駐車場と説明看板と後円部に登る階段があります。階段を

登ると、上は小規模な墓地になっています。

 

古墳の後円部の頂上に、こんな石板が立っています。向こうに見えている丘は、古墳の前方部です。ところで

この石板は、長持形石棺の底板です。本来は古墳の石室内に安置されていたものが、何で古墳の頂上に突

き刺さった状態なんでしょうか? 墓が暴かれ、石棺の部材と、恐らく遺骸も、古墳の頂上で曝されたという事

でしょうか。古墳時代とは、我々の想像より苛烈な時代だったのかも知れません。

長持形石棺というのは、通常、大王クラスの埋葬に用いられたもので、関東では、僅か四基しか発見されてい

ません。石棺と古墳の規模、および五世紀中頃の造成時期からして、被葬者は、下海上国(しもつうなかみの

くに)の国造(くにのみやつこ)の久都伎(くずき)氏と思われます。彼らは香取海の水上交通の支配者でした。

  海王の 棺の底板 立つ丘に 登りて古代の 香取海想う

 

頂上には更に二枚の石板が立っています。これらは長持形石棺の側板とのことです。

 

三枚の石板の位置関係の分かるショット。

 

前方部から後円部を撮ってみました。前方部まで来る人は少ないようで、腰までの草を掻き分けてここに達し

ました。

 

帰途、佐原の小野川沿いを散策しました。

 

朝のせいか、人通りの少ない小野川です。佐原駅を経由して、再び利根川に出ました。