《ルートの説明》
総社(惣社)とは何か: 古代、律令制度下で、国司は国内の全ての神社を巡拝する仕事がありました。これが苦労なので、効率化のため、
国府の近くに、国内の全ての神を集めて祀った神社を創建しました。それが総社です。 ここに一回参拝するだけで、巡拝が不要になるわ
けです。なので、律令制度が機能していた時代には、総社も有力な神社として存在できたでしょうが、制度崩壊後は、神社の存続に苦労し
たことでしょう。当然、衰退した神社もある中で、ここ常陸国総社宮は、今なお、地域の行事の中心として存在しているのは立派と思います。
9月の例大祭は、見物客50万人を数え、関東三大祭りの一つになっています。


まず土浦まで行かなければなりません。ここは中間部で通る桂川谷津道です。230711を参照。

土浦駅の東口を通過します。

土浦駅から線路の西側に出て、国体道路に入ります。後は道なりで、恋瀬川近くで国道6号に合流
します。この写真は国体道路も終わり近く、恋瀬川支流の天の川に向かって下っている所です。

国道6号に出ました。恋瀬川を渡る恋瀬橋から筑波山が良く見えます。

常陸国総社宮の表参道の大鳥居に着きました。ここから参道は、自転車を押し歩きで通ることは
出来ます。参道を進むと土俵が現れ、その横に駐輪可能です。

簡素で茅葺屋根の随神門が現れます。寛永4年(1627)築。苔むした屋根が歴史を感じさせます。

拝殿です。想像よりも簡素で小振りでした。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の途中で腰かけた、と伝えられる腰掛石。総社をここに
建てた理由の一つが、この石の存在だったようです。

例大祭で奉納相撲が行われる土俵。奉納相撲は、延亨年間(1744〜48)頃に始まり、例大祭で最
も古い催しの一つだそうです。

総社宮に別れを告げ、次に訪れたのは総社宮の隣の石岡小学校です。校内の駐車場脇に、
「常陸国府跡」の石碑があります。発掘調査が終わり、埋め戻されていますが、校庭の下に
遺跡が眠っています。調査結果によると、国府の開設は1300年前(7世紀末)で、それから
11世紀頃まで、およそ300年に渡り運営されたようです。

「石岡の陣屋門」に立ち寄りました。この地を支配していた府中藩は、藩主と大半の家臣は江戸
常駐で、石岡には「陣屋」と呼ばれる役所を置いていました。その門です。文政11年(1828)築。

常陸国分寺は天平勝宝4年(752)の建立です。現国分寺の敷地内に、講堂跡、金堂跡、七重塔跡、
中門跡が埋もれています。写真は中門跡の碑の前です。

さて、国分寺跡から国道355号を戻るのですが、沿道にはレトロな建物が多く、一見に値します。理由は
昭和4年の大火で街の殆どが焼け、昭和5年に再建した家屋が今も多く残っているためです。写真右から、
福島屋砂糖店、久松商店、十七屋履物店と並びます。いずれも文化財です。

この丁子屋は、昭和4年の大火を免れた江戸時代の建物です。元々は染物屋でしたが、現在は
観光客向けの雑貨を扱っているとか。

最後の写真は霞ヶ浦の土浦港。家まで、まだ40Kmもあります・・・。