《ルートの説明》

朝起きたら、天気予報が変っていました。当初の予報では、本日は雨でしたが、曇りになりました。ということで、急遽、ばたばたと支度を整えて

出発しました。目的地は市原市の史跡巡りでした。

師戸川谷津道を下ってきて、ここはいつもの船戸大橋です。

 

手繰り川谷津道で四街道を目指します。田んぼの稲の刈り取りは、八割方終わっていました。

 

都賀から都賀車坂通りをやって来て、国道126号に左折します。国道は高架ですが、側道から

合流できます。道の向こうは、社殿が二階建ての千葉神社です。

 

国道126号は、やがて左折しますが、左折せずに道なりに進むと、やがて国道357号に達します。

写真は国道への合流部。目標物は「ウィング」というホテルです。

 

国道357号を進み、稲荷台通り経由で戸隠神社に着きました。急な階段を上った台地の上にあります。

上総の国の惣社であったと推定されています。まだ見つかっていない上総国の国府も近くにあったとい

う説もあるようです。

 

戸隠神社の直下にある雷電池です。古墳時代に、ここには東京湾から食い込んできた湾がありました。

湾の最奥部が池として残ったのかもしれません。

 

神門(ごうど)5号墳に着きました。前方後円墳と呼ぶには、前方部が小さく、前方後円墳に移行す

る前の過渡的な様相を示しています。造られたのは3世紀中頃と古く、県内はもとより、日本全体

で見ても最古級の古墳と考えられています。

 

考えてもみて下さい。3世紀というと、あの卑弥呼の生きた時代です。邪馬台国は九州だ、畿内だと

議論が尽きませんが、同じ時代に、上総・市原に、このような古墳を築ける勢力があったのですね。

 

上総国分寺跡に来ました。階段の両側にピンク色の円筒が並んでいますが、かつて、ここにあった

西門の柱の位置を示しています。そもそも国分寺というのは、天平13年(741年)に聖武天皇の詔に

より全国に建立された国立の寺院です。更に詳しく述べると、金公明四天王護国之寺という僧寺と

法華滅罪之寺という尼寺が同時に建立されました。

 

現国分寺境内にある薬師堂。江戸時代・正徳6年(1716年)の建立。

 

国分寺にあった塔の巨大な礎石です。礎石の間隔から、塔の高さは60メートル程。七重の塔と

考えられています。

 

国分尼寺に来ました。平成9年に中門と回廊が復元されました。全国の、大きさの分っている

国分尼寺の中では最大のものです。

 

回廊で囲まれた中庭に金の灯篭が置かれていました。灯篭の向こうが中門。カメラの側が金堂

(建物は無いが)になります。

 

回廊です。見学者は私だけ。

 

回廊から眺めた中門。1200年前の人々は、今に比べれば、ずっと短かったであろう人生を、どんな

煩悩を抱えて生きたのでしょうか?