《ルートの説明》

塚原卜伝というと、上泉信綱と並んで、戦国時代の剣豪の双璧をなした人です。鹿島神宮の神職・卜部吉川家に生まれ、その後、塚原城主・塚原安幹

の養子となりました。16才から武者修行として全国を歩き修練を重ねました。なお、3回に渡る回国修行は、人生の半分にあたる39年間に及びました。

その間、真剣の試合19回、戦場に出る事37回。いずれも、手傷一つ負うことも無く、生き延びています。まさに無敗の王者です。そんな彼の墓所を訪れ

るべく、鹿嶋へのサイクリングを行いました。なお、行きは利根川左岸から、帰りは北利根橋経由、新利根川右岸をとりました。

常総大橋を過ぎたあたり。未明に雨が降ったようで、路面が濡れていました。

 

神崎大橋を通過。ここから利根川左岸の路面は、小さな突起が多くなり、快適な走行が出来ません。

やはり右岸の方が路面が良いですね。

 

常陸利根川を潮来大橋で渡っています。

 

潮来から前川沿いに進み、神宮橋を渡っています。鹿島神宮一の鳥居が見えています。

 

鹿島神宮参道入口まで急坂を登り、そこから鹿島神宮駅方向に坂を下ると、途中の見晴らしの良い

鹿詰公園に塚原卜伝の像があります。

 

塚原卜伝の生誕500年を記念して像が作られました。ちなみに、彼は延徳元年(1489年)生まれ。

没年は元亀2年(1571年)でした。

 

鹿島神宮駅前を過ぎ、ここは国道51号の高架の下です。丘の下を左に緩く登って行きます。丘の

上の建物は、小山記念病院です。

 

卜伝の墓に向かうのですが、標識が何ヶ所かあるので、わかり易かったです。「剣豪塚原卜伝

先生墓地入口」の石柱がありました。墓は、斜面を階段で登った小高い所にあります。

 

お墓には屋根があり、石灯籠が2セットあります。

 

その知名度に比して、墓石は小さなものです。当時の、この地域での彼の評価が、この程度だった

のかも知れません。

 

左は墓石のアップ。彫られている文字は読み取れません。右は「武徳昂揚」と彫られた石灯篭。

 

卜伝の墓は、当初、梅香寺という寺の境内にあったのですが、寺は焼失し、その際、持ち出された

卜伝とその妻の位牌は、すぐ近所の真言宗・長吉寺で保管されています。

 

せっかく、ここまで来たので、帰りに、北浦の岸辺をちょっと走ってみました。北浦と云えども

手賀沼より大きい!

 

来るときは利根川沿いでしたが、帰りは霞ヶ浦をちょっと掠めて、新利根川沿いにルートをとりました。

ここは霞ヶ浦(西浦)の岸辺です。北利根橋のだいぶ先に河川管理境界の看板があります。ここから

左が西浦、右が常陸利根川です。私は今まで、北利根橋が、その境界だと思い違いをしていました。