《ルートの説明》
今年のサイクリングは、平将門公の史跡巡りに始まり、未だに継続中です。今回は、将門公が、どんな所で生まれ育ったのか?を知る
ために、茨城常総市向石下にある豊田館跡を見学して来ました。また、鬼怒川の、今まで走ったことのない部分を今回走ったのは収穫
でした。


小貝川の戸田井橋からショートカットルートで、ここ、水神岬公園近くに出ました。

福岡堰まで来ました。昨年の今頃、宇都宮に行った際に、ここから平和橋まで工事迂回で下道を
通りましたが、今回も工事迂回でした。1年も土手の工事って続くもの何でしょうか?

長峰橋に近づきました。これは、史跡豊田城跡の碑です。

長峰橋から鬼怒川の石下橋に向かう途中、常総市地域交流センター(通称:豊田城)に立ち寄り
ました。7階建の立派なお城です。常総市の豊かな財力が示されています。

手前の像は、常総市出身の歌人で小説家の長塚節です。 以下は彼の詠んだ歌です。
筑波嶺に 雪は降れども 枯菊の 刈らず残れる したもえに出づ

豊田城から石下橋に向かう途中、半ば土に埋もれた石下町道路元標を見かけました。これは
大正8年に制定された旧道路法に基づき、各地市町村に置かれた基準点です。この扱いは文
化財という意識に欠けています。私の想像ですが、車の出入りに邪魔なので、横に寝かせたか
と思います。

石下橋から鬼怒川下流方向を撮影。遠くの橋は石下大橋です。

石下橋を渡って僅かで、住宅地の中の将門公苑です。これは平将門公本拠豊田館跡の碑です。
ここには将門の父・良将の館があり、ここで延喜8年(903)に将門が生まれた、というのが諸説あ
るなかで最も妥当な説です。

この公苑には、将門の一代記の大きな石碑もあります。豊田館は将門の乱の前半期の本拠地
でもありました。(後半期の本拠地は石井営所)

石碑中央部の絵は、大河ドラマ「風と雲と虹と」をイメージして描かれたとか。


ここには将門公のレリーフもあります。写真左はレリーフの全体像。右は顔の部分のアップ。レリーフ
の作者は宮地寅彦氏。彼は甲府駅前の武田信玄公像の作者として知られています。

豊田館跡を後にして、鬼怒川右岸のCRを下っていきます。石下大橋と常総きぬ大橋の間の
土手下に、石碑があります。

碑文は、平親王将門公一族墳墓之地、とあります。周囲には古墳群があり、その中の「六所塚古墳」
には将門の父の良将が葬られていると言い伝えられています。

美妻橋に来ました。ここを渡り、鬼怒川左岸に移ります。

八間堀水門です。八間堀川が鬼怒川に流れ込んでいる場所です。奥に見えている橋は、豊水橋
です。ここで鬼怒川を離れ、諏訪神社通りを進むと、小貝川に出られます。ところで皆さんは「さ
のさ・花づくし」ってご存じでしょうか。 花づくし 山茶花 桜か 水仙か〜 という端唄です。
今回のサイクリング中に、そのパロディの「さのさ・川づくし」を一生懸命考えました。
川づくし 江戸川、鬼怒川、隅田川
清き流れは小貝川 わたしゃ主様 ネェ 思川
多摩の 大瀬に 小名木川 ぁさのさ