《ルートの説明》

霞ケ浦のこの辺りは、和田岬をはじめ、何度も来たことがあります。今回は、初めて通る野田奈川に沿って、浮島城跡/姫宮神社に行ってきました。

帰りは新利根川河口水門に出て、新利根川ルートを採りました。

ところで、この日は、車に轢かれたタヌキを二匹見かけました。それぞれ違った場所でです。不思議ですね。タヌキの厄日だったのでしょうか?

新利根川右岸を下って行きます。見えている橋は柴崎橋。

 

幸田橋を渡り、大須賀機場で新利根川を離れ、工業団地を経て、野田奈川沿いの道に出ました。

ここを進むと、浮島地区に至ります。

 

出ました。工事につき全面通行止め。左側から迂回しました。

 

迂回を終えて、だいぶ浮島に近づきました。見えているのは、山裾まで続く広大な蓮田です。

 

浮島地区に着きました。雑草の中に「茨城百景・夢の浮島」の碑が立っていました。昔はこのあたりに

沼があったそうなので、当時は美しい風景だったのでしょう。

 

姫宮神社の鳥居です。掲げられた額には、姫宮神社と龍崎神社が併記されています。明治時代に

龍崎神社がここに合祀されたとか。現在の社殿も龍崎神社から移築したそうです。

 

鳥居からの参道は石段なので、鳥居脇の急坂を自転車を押して登ってきました。小広くなった姫宮

神社の境内です。見えている建物は拝殿です。ところで、このあたりは浮島城跡と呼ばれています。

城のレイアウト詳細は不明ですが、城の主要な建物は、今の姫宮神社あたりにあったようです。

 

素朴な姫宮神社の扁額。姫の字の女と臣が離れすぎているような・・。

 

拝殿の後ろの本殿。龍崎神社よりの移築。明和6年(1764)製作。現在は、姫様を祀る神社らしく、

ピンクの塗装がされています。

神社の由来ですが、元亀・天正の争乱(1570-1590)で、佐竹氏と戦った浮島弾正は敗れ、城は落

城しました。弾正の娘、小百合姫は、湖に身を投げ、亡くなりました。彼女の慰霊のため、この神

社が造られました。不思議なのは、浮島弾正と一族の神社が無いのに、なぜ娘だけ神社なのでし

ょうか?彼女の死が浮島の人々に何か衝撃を与えたのでしょうか?450年ほど前の話なので、状

況は想像するしかありません。そこで、私が三首を詠み、勝手にストーリーを作ってみました。

    城落ちて 兵馬の響き 既に去り 一人逃れし 我が身悲しや

  小百合姫 父母のむくろを 見届けて 後を追わんと 水辺へとたつ

  水深く さらばと叫び 沈みゆく 姫の見納め 夢の浮島

   

さて、帰りは、往路を通らず、新利根川河口を目指します。

 

いかにも平和な新利根川の風景。左側は桜並木です。

 

つい最近も同じような写真を載せました。(231121) 圏央道近くの牧場の乳牛です。