《ルートの説明》
印西の周辺であちこち縄文時代の貝塚を見学する機会がありました。でも印西で貝塚を見学した事はありません。
印西市内で貝塚はないものかとWebで調べると、戸ノ内貝塚なるものが見つかりました。それは師戸の海抜29m
の台地の上にあり、印旛沼公園の近く、ということですが、場所が判然としません。
そこで考えました。近くに歴史民俗資料館があるから、そこで教えてもらおうと。でも教えられたのは、およその道順
だけ。結果として、正しい貝塚の場所には辿りつけましたが・・・。


いんば学舎の前の道は総武CC北コースに突き当たります。コース内の道を下って谷津に出ます。

下り立った谷津は静かです。何度も通ってますが、ここで人を見かけたことは一度もありません。上流部は
何本もの谷津が合流しているため方向が分かりづらく、あれ、どっちに行くんだっけ?と考える場面があるか
も知れません。美しい谷津です。西方谷津と呼ぶそうです。

無事に谷津を下って来て、R263をひと登りで、印旛歴史民俗資料館に着きました。9時開館です。

内部には縄文時代の古墳や遺跡からの出土品も展示されています。この中には戸ノ内貝塚からの出土品も
含まれています。早速、館員の方に戸ノ内貝塚の場所を訊ねました。結局教えてもらえたのは、印旛沼公園
前の道を登って行く。廣福寺という寺の先で右折する。場所を示す標識はない。というものでした。これだけの
ヒントで場所をさがすのは、なかなか高難度のクイズかと・・・。

印旛沼公園に向かう前に、近くの泉福寺薬師堂に寄りました。

師戸川に下ってくると、折から雲間から射す日光が印象的でありました。

印旛沼公園から坂を登って、廣福寺先で右折すると、畑がたくさんあります。台地の端にさしかかると白い
外装の家がありました。家の向こう側に洗車中のおじさんがいたので、貝塚について訊ねてみると、「ああ、
それはうちの裏だよ。今は埋め戻して畑になってるがね。写真?裏に回って撮っていきな。」

このフェンスで囲まれた畑で発掘が行われたそうです。ここに辿り着けたのは、私の運とコミニュケーション
能力の賜物です。この場所に縄文晩期の集落があったんですね。

標高29mの畑の一角からは印旛沼が見えました。当時、印旛沼、手賀沼、霞ヶ浦などは総て繋がった巨大な
内海であったわけです。眼下に見えていたのは、その内海の湾(印旛湾)であったことでしょう。
古(いにしえ)の 丘より望む 印旛湾 鹿島河口に 朝日煌めき