《ルートの説明》

鹿島川支流の高崎川の谷津道は、芝山、八街、根古名川、等の行き来によく利用していますが、”通り道”という

捉え方しかしてきませんでした。今回は単に通過するだけでなく、“文化と歴史の高崎川”という視点で、流域の文

化財巡りをしてきました。それらは下記の4か所で、いずれも冨里市の文化財に指定されています。

 @新橋観音堂の 石造物群

 A昌福寺の宝篋印塔と三谷胤政供養搭

 B中沢城址

 C高野六地蔵六観音

新橋観音堂に行くため、高崎川を左岸に渡ります。橋の上から眺める上流方向の景色。

 

新橋観音堂に着きました。

 

境内の石造物群は、下総型版碑一基、十五夜講搭一基、馬頭観音搭三基から成ります。特に前列中央

の馬頭観音像塔は、延享元年(1744年)に造立されたもので、冨里市内に16基ある馬頭観音像塔の中で

最も古いものです。

 

昌福寺の三谷胤政供養搭(画面中央の大きな像)。 造立は17世紀から18世紀初頭。なお、三谷氏とは、

冨里の在地土豪。

 

供養搭の仏様は非常に丁寧かつ繊細に造り込まれていて、その表情は美しくさえ有ります。

  里人の 思い託せし 御仏の 目元さやけく 谷津風薫る

 

上記供養搭の隣にあるのが宝篋印塔。中世石塔の主流として盛んに建立されたとか。この石塔には

応永33年(1426年)の銘があり、冨里の中世遺物で唯一年号の確認が出来たものです。

 

高崎川右岸を進んで行くと未舗装路が現れ、その道端に、ここが中沢城址という説明版が設置されて

います。この城址の先にはスイカ状ガスタンクがあります。城は室町時代後半に千葉市の勢力下の城

として築かれたとか。

 

これは対岸(左岸)からの城址の全貌。通称城山。上記の説明看板が小さく見えています。

 

谷津道を進んで行くと、小学生の一団が田んぼに入ってきました。これから田植え体験を行うようです。

 

さて、本日の最終目的地の高野六地蔵六観音に着きました。この石塔は造立が享保33年(1718年)で

笠付角柱型と呼ばれる珍しいもので、千葉県内で唯一、ここだけに有るものです。